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デトレフ・フレイジャー(Detlef Fleisher)はベルカの元軍人の大学教授で、ベルカ戦争時はベルカ空軍ロト隊の隊長でエースの一人であった。階級は中佐[4][注 1]

TACネーム[]

Stolz はドイツ語で「誇り」。ドイツ語としての読みは公式転写の「ストルツ」よりも「シュトルツ」のほうが近い。

名前[]

Fleisher はドイツ語の姓 Fleischer に由来する英語の姓。いずれの場合もその音は公式表記と異なり「フライシャー」と転写されることが多い。

生い立ち[]

1967年にベルカの首都ディンズマルクで生まれる[1]。父親は有名政治家であり陸軍軍人のハインツ・フレイジャー[3]、フレイジャーは男4人兄弟の末っ子であった[1]。フレイジャーは陸軍軍人の父と兄の影響から高等学校卒業後、スヘインデル士官学校に進学[3]。1990年に首席で卒業し花形のベルカ空軍に入隊した[1]

ベルカ空軍のエースへ[]

デスクワークを嫌い前線への異動を希望し、その経歴と容姿の端麗さから、空軍情報部の情報戦略官ラインハルト・ダール中将によって、軍の戦意高揚を目的とした広告塔として有効であると判断され前線へ異動となる。1994年5月10日にB7R(ストレンジリアル)にて初陣でウスティオ空軍のSu-27を3機撃墜し、続けて2回目の出撃ではF-16Cを5機撃墜。この功績からベルカ鉄十字徽章を受賞し、「紅きツバメ」の武功として国内に大々的に宣伝され、ベルカの若手エースの座をものにした[3]

ベルカ戦争[]

ベルカ戦争初期においても度重なる戦果によって新聞紙上を賑わしており、軍上層部は安全な後方勤務へ移そうとしたがフレイジャーは前線での貢献を希望し頑なに固辞した。その後もB7Rで6機目を撃墜するなど着実に撃墜スコアを伸ばすフレイジャーだったが[3]、1995年4月20日のB7Rでのウスティオ空軍ガルム隊との戦闘(チョーカー・ワン作戦)により撃墜されるも生き残る[5][2]。その後プライドの高さからか戦闘機を降り、将校として基地司令の道を選ぶ[1]

戦後[]

終戦後に戦犯として出廷するが直刑は免れる[1]。その後ディンズマルク大学で歴史学の教授となり日夜教鞭と研究に勤しむ[2]。2005年10月1日に職場でOBCブレット・トンプソンのインタビューを受けた[4]

その他[]

  • 戦争は自国民のプライドをかけて行うものという考えから傭兵を嫌っている[1]
  • 口癖は「私は父のようにはならない」[1]
  • 東洋の兵法文献の収集を趣味としていた[1]

登場作品[]

参照[]

脚注[]

  1. 攻略本では少佐となっている。

出典[]

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー パーフェクトガイドブック p177
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR アサルトレコード No.010 デトレフ・フレイジャー
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR 公式サイト World "ベルカン・エアパワー" 第一部前編
  4. 4.0 4.1 ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR SCENE VIEWER 05 A Pilot That Lives by Pride / 1
  5. ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR #03 THE ROUND TABLE 「円卓」 MERCENARY


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