ベルカ公国(英:Principality of Belka)は北オーシア大陸北辺に位置する国家。一時期は盟主として大国ベルカ連邦を主導し、連邦は冷戦期にはオーシアと対抗しうる軍事力と抜きんでた科学力を有していたが、敗戦に伴って連邦は解体され公国は独立国となった。首都はディンズマルク。
歴史[]
中世[]
ベルカの歴史として述べられているベルカ全体の姿は王朝であったり帝国であったりしており、公国よりも上の単位であるため、(ベルカ公国が中世から存在したかどうかは不明であるが)少なくとも現在の公国の領域はベルカ王朝あるいはベルカ帝国の領域よりも小さい可能性がある。この節の記述はそのような詳細を区別していない。
現代でいう北ベルカの地を発祥とし、ベルカ騎士団と王侯貴族によって統治される封建国家であった。ベルカ王朝の政治に大きな影響を与えたそれらの家系や系譜の末裔は往々にして現代でも勢力を保っており、かつての誇りを引き継いでいる[1]。そのような家系や系譜の例としてはルートヴィヒ家、ハインリッヒ家、ブフナー家、アルブレヒト帝国騎士団がある。
12世紀までにベルカは諸邦から皇帝を選出する帝国となっており、以降400年の間シュティーア城が選帝侯の居城だったことから16世紀まではその状況が続いたことがわかる[2]。
ベルカの領土は寒く天然資源もないため、近代化以前から家内制手工業が発達した[3]。
冷戦前[]
20世紀初頭に工業化が始まり、光学機器・精密機器の製造技術を成長させていった[3]。
また、領土拡大を進めた結果隣国オーシアと軍拡を競うようになり、1905年にオーシアとの間でオーシア戦争が勃発した。この戦争の中でベルカはそれまで偵察にしか使われていなかった航空機を世界で初めて爆撃に使用し、ベルカ自身を含む各国が空軍を創設するきっかけとなった。終戦には間に合わなかったものの、現代でいうところの戦闘機もベルカでは開発されていた。この戦争以降、ベルカ空軍はかつてのベルカ騎士団の精神と人的資源の貴重性から少数精鋭主義を極めていった[4]。
1940年代にも軍事衝突があり、エースパイロットを生み出した[5]。
20世紀後半にかけてベルカの軍事産業は大きく発展していき、例えば1970年代からベルカ製兵器の輸入を開始したエストバキア連邦では、ベルカは最大の兵器輸入先となった[6]。
ベルカはこのころまでに北ベルカ南西部を囲う険しいバルトライヒ山脈を超え、現在で言う南ベルカを領土に組み込み、さらに20世紀後半も拡張主義を進めて軍事的圧力によって東方諸国を併合していった。1970年代から国境付近ではレクタ紛争など民主主義と民族主義を掲げた紛争が多発したが、軍事力によって鎮圧されていった[7]。
冷戦期[]
具体的にいつベルカ連邦が形成されたのかは定かではないが、1973年にはまだ連邦になっていなかったから[7]、それ以降の70年代あるいは80年代前半に連邦制に移行したものと思われる。また、連邦形成前のベルカがベルカ公国を名乗っていたかどうかも不明である。
1980年代から世界はオーシアとユークの二大国間の冷戦構造の中に巻き込まれていくようになった。二大国の急速な軍拡と戦略兵器の熾烈な開発競争の中で、歴史的にオーシアと対立してきたベルカも同様の軍拡と兵器開発を進めていった。1985年からアントン・カプチェンコによる国家防衛構想「ペンドラゴン計画」の下化学レーザーや大量報復兵器の開発が始まったほか、弾道ミサイル迎撃用の超高層化学レーザー砲塔「エクスキャリバー」の構想と設計が1981年に始まり、また南ベルカ国営兵器産業廠による先進制空戦闘機ADFシリーズの開発が1985年に始まった。
しかし、拡大する国土と戦略兵器の開発計画によって増大する軍事費は次第に連邦の財政を圧迫し、ついにはベルカ国内に経済恐慌を引き起こすこととなった。1987年12月[注 1]、財政負担を軽減するために、東部諸国の政治権限を現地政府に移譲し駐留軍を本国へ帰還させる内容のベルカ連邦法改正が行われると[8]、続く1988年2月にゲベートが、同年5月にウスティオが連邦から分離独立した[9]。潜在的な地下資源が期待されていたこれらの地域の独立にはオーシア系資本の支援もあったといわれる[10]。
極右勢力の台頭[]
連邦法改正の後もベルカの経済恐慌は収まらなかったため、連邦政府はオーシアとの協調路線を模索[8]。長年オーシアとの領土紛争が続いている連邦領の五大湖南北帯をオーシアへ割譲する見返りに、該当地域の天然資源を管理する五大湖資源開発公社を両国共同出資によって設立し、さらにその配当割合を大きくベルカ側に有利に設定する合意を取り付けた[10]。ところが、1991年8月16日[11]、五大湖資源開発公社が採算割れを隠蔽していたことが発覚。オーシアが領土割譲を狙って資源調査データを恣意的に改竄したとの疑いが生じ、ベルカ国内ではオーシアと当時のベルカ政権に対する抗議運動が広がった[8]。極右の祖国労働者党支持者を中心にした議会の包囲をきっかけにそれらは全国で暴動に発展し、少なくとも2週間以上続いた[12]が、暴動が続く中の8月29日、五大湖南北帯は北方諸島とともに予定通りオーシアへ割譲された[9]。また、同日にそれらに加えて北部領土をファト連邦に、東部地域を東部諸国に売却している[9]。
12月、ベルカ東部諸国の国境線が最終的に確定。ゲベートからレクタが分離し、ウスティオが東部地域をレシオに割譲した[9]。
反オーシア感情と東部諸国の独立を許した現政権への不満から、1992年2月[11](資料によっては1991年11月[10])、極右政党であるベルカ民主自由党が政権を掌握。「強く偉大で正当なベルカの回復」を掲げ独裁的性格を強化した。三権分立は消失し、ベルカは再び軍備増強へと向かっていった[10]。それから間もなく、前政権下で独立したウスティオ共和国に莫大な天然資源が発見されると、ベルカ連邦最高裁判所は連邦法改正を外国の侵略的干渉によるものであり違憲だと断定、東部諸州の独立を無効とする判決を下した[8]。
ベルカ戦争[]
- 詳細は「ベルカ戦争」を参照
1994年3月にはベルンハルド・シュミッドが何らかの勢力の戦闘機を、5月にはデトレフ・フレイジャーがウスティオ軍機を撃墜している[13]ことから、1994年あるいはそれ以前からベルカと周辺国の間には軍事衝突があったことがわかる。
1995年3月25日、ベルカ連邦は周辺諸国に宣戦布告し、東、南、西の三方面に同時に侵攻を開始した。準備不足の各国はベルカ軍の侵攻を止めることができず、3月のうちにベルカは連邦全盛期の領域をほぼ回復するのみならずフトゥーロ運河を含めたサピンの一部まで占領するに至った[9]。しかし、国土のほとんどを喪失しながらも抵抗を続けていたウスティオがオーシアおよびサピンと連合軍を形成[注 2]し4月1日に反攻を開始すると、15日にウスティオへの兵站線である幹線道路171号線の一部が、24日にフトゥーロ運河全域が奪還され、5月13日にはウスティオ首都ディレクタスが解放された。
ベルカによる占領地域の解放が終わった後も、ベルカの大量報復兵器開発の情報をつかんでいた連合軍は「核査察」と資源権益確保のためベルカ本土へ侵攻。17日、連合軍は要塞化されたハードリアン線を越えてベルカ領内に侵入し、23日、ハードリアン線以降実戦投入されていたエクスキャリバーを空爆で破壊、さらに6月1日には工業都市ホフヌングへ戦略爆撃を行ってベルカの工業力を奪った。この頃から南ベルカではベルカ発祥の地である北ベルカのための防衛線とされたことによる不満から厭戦気分が蔓延し、南ベルカの各都市は非武装宣言を出して連合軍に無血開城していった。防衛線の構築もままならぬまま、ベルカ軍は北へ撤退を繰り返していった[14]。
ベルカ軍は南北ベルカを隔てるバルトライヒ山脈の南端南側にあるスーデントール市に籠城し、そこから北ベルカへ撤退する部隊の撤退時間を稼ごうとしたため、6月5日、連合軍はスーデントール市を包囲。さらに北ベルカへ通じる山脈の細い通路で立ち往生したベルカ軍部隊が連合軍の追撃を受け、バルトライヒの決戦が戦われた[10]。その翌日の6月6日、ベルカはバルトライヒ山脈全域で計7発のV1を地上起爆した。12000人を超えるベルカ民間人の死者を出した[15]が、核攻撃の混乱と電磁パルスによって連合軍の北ベルカへの侵攻は頓挫した[8]。
同月20日、南ベルカの都市ルーメンにて停戦条約が締結され、ベルカ戦争は終結した[16]。バルトライヒ以南のベルカ軍は全軍が武装解除され、連邦は解体されて公国領の一部のみが独立国として残った[10]。また南ベルカはオーシア信託統治領ノースオーシア州となった[17]。
終戦から半年後の12月にベルカ軍人を中心とした国際組織「国境なき世界」によるクーデターが発生した。彼らは南ベルカ国営兵器産業廠が開発していた重巡航管制機「フレスベルグ」と北ベルカの発電用ダムを装った弾道ミサイル基地「アヴァロンダム」を接収したが、どちらも連合軍に破壊されクーデターは失敗した。なお、このクーデターには戦後ベルカの強硬派政治家も関与しており、スキャンダルに発展した[18]。
戦後世界とベルカ[]
ベルカ戦争でオーシアとユークトバニアがともに戦ったことは、両国間の関係を大きく改善し、冷戦は終結に向かった。
戦後しばらくの間はベルカ軍人によるテロがオーシアで多発した。テログループ「暁の鷹」はオーシアを中心に少なくとも7件のテロ事件を起こし、カプチェンコの部下イーゴン・ストラウスは武装した8人とともにOWC通信社を襲撃した。
その一方で、一部のベルカの技術者やパイロットは、その能力を買われて時に戦犯としての追及を軽減してまで各国へ招待されたり、追及を免れるためにエストバキアなどの友好国へ亡命するなどして、ベルカの科学技術や空戦技術を世界に拡散させることとなった[8]。とくに、本部を置くスーデントールがオーシア領になった南ベルカ国営兵器産業廠はオーシア企業「ノースオーシア・グランダー社」となり、オーシア軍を中心に世界中の軍需を支えるようになった。オーシアとユークトバニアにはベルカ人パイロットによるアグレッサー部隊が設立された。
しかし、そのように世界中へ影響を持つようになったベルカ人の中には南北ベルカの統合と連合軍への復讐をいまだに望むものも多く、そのようなベルカ人による秘密結社「灰色の男たち」がオーシアとユークトバニアで工作を開始していた。彼らはMIRV弾頭の戦略核V2を完成させ、秘密裏に軍備を増強し、グランダー社所在地から南北ベルカ統合のためバルトライヒ山脈の北に向けて巨大トンネルを掘削し、さらにはオーシアとユークトバニア両国の好戦派を焚きつけてクーデターを起こさせ2010年から両国を環太平洋戦争に導いた。しかし戦争中に両国の一部軍人にそれらの工作を見抜かれ、幽閉していた両国首脳を奪還されグランダー社本社が両国軍に陥落したことで計画は失敗した。この一連の陰謀はベルカ事変と呼ばれる。
2010年代、ユージア大陸に影響力を拡大するオーシアに付随するようにしてグランダー社はユージア大陸に進出し、軌道エレベーター防衛用の軍事技術を提供する一方でエルジアの無人機開発も主導した。その一方で、ベルカ人が世界中で軍事技術を提供していることと、一部のベルカ人によって大規模な陰謀やテロが続いたことで、ベルカ事変後からベルカ人に対する偏見が広がっており、オーシア・ユークトバニア両国政府は人種・民族による差別に対し厳しい措置をとっていたが是正には至っていなかった[19]。その結果、灯台戦争末期ではベルカの技術がエルジアを間違った道へ導いたと考えたエルジア保守派の部隊によって技術者を中心としたベルカ系民間人が虐殺される事件も起きた[20]。
これらの経緯によって、灯台戦争後、一方では陰謀と不正の再発を防ぐため、国連によるグランダー・インダストリーグループへの制裁措置によってノースオーシアの本社とセラタプラにある軌道エレベーター関連の支社が閉鎖され、もう一方ではベルカ人への差別を解消するため、ノースオーシア州でグランダー社とその周辺企業の無実の従業員を対象に再就職支援プログラムが実施されている。また、ベルカ戦争に起因する紛争と策謀の歴史に終止符を打つという決意のもと、国家だけでないあらゆる組織との連携を可能にする対テロリズム有志連合が結成された[19]。
政治[]
連邦時代のことではあるが、選挙がありそれによって政権交代が発生しているため、民主制が機能していたことがわかる。公国としての独立後もその制度は保たれていると推測される。国号から立憲君主制であることが示唆されるが、君主の存在が直接言及されたことはない。
民主自由党内部の強硬派の一派として「旧ラルド派」が存在したが、戦後国境なき世界との関与が明るみに出たことで幹部のヴァルデマー・ラルドは失脚した[18]。
国際関係[]
オーシア[]
歴史的には対立関係にあったが、終戦後ベルカが小国に戻ってからは政府同士の表立った対立はない。戦後、オーシア国内ではグランダー社がオーシアに軍事技術と兵器を提供する一方で、ベルカ人全体としては差別や偏見にさらされており、複雑な立ち位置にある。また、2010年時点ではノースオーシア州の住民はまだベルカ人としてのアイデンティティが強く、ノースオーシア州と呼ばれることを好まないという説明もあった[17]。
ユークトバニア[]
ユークトバニア中央党は中央党機関紙において五大湖資源開発公社の採算割れ隠蔽工作について「長期的視野にかける」「無策」「国際社会の安定を省みない無責任な遊戯」などとベルカをオーシアともども強い言葉で非難した。環太平洋戦争ではオーシア同様に灰色の男たちからの軍事支援を受け、グランダー社の戦闘機開発に協力していた事実もある。
エストバキア[]
1970年代からベルカ製兵器の輸入を開始し、1995年のベルカ敗戦まで大半の装備がベルカ製だった。ただし、2002年からエストバキアが戦略物資輸出規制の対象国になったことで、エストバキアはベルカからの兵器輸入が完全に不可能になった[6]。また、元ベルカ空軍エースであるロレンズ・リーデルがフレスベルグ開発に携わった技術者らの一部とともにエストバキアに亡命し、最新の技術・戦術を東部軍閥にもたらした[21]。公式に明言されてはいないが、彼らはフレスベルグと同じ「重巡航管制機」を正式名称に冠する東部軍閥の空中空母「アイガイオン」の開発に大きく関わった可能性がある。
エルジア[]
灯台戦争の際、グランダー社から技術提供を受けて自律型の無人機を生産し大量に使用したほか、エルジア製の有人機X-02の改良型試作機X-02Sを製造し実戦投入させた。エルジア国内でも開戦に反対していた保守派はベルカの技術がエルジアを狂わせてしまったのだと考え[22]、この意識が保守派エルジア軍部隊によるベルカ系住民虐殺を引き起こした[20]。
地理[]
ベルカ公国は北オーシア大陸北辺、オーレッドのほぼ真北の地域に位置しており、ノルトベルカ(北ベルカ)と呼ばれる地域を領有している。
西部から南部にかけてオーシア及びウスティオと接しており、それらとは国境に横たわる険しいバルトライヒ山脈によって隔てられている。東部では南からレクタ、ゲベート、ファトと接し、北は海の向こうにウェローがある。山脈に囲まれ高緯度に位置するノルトベルカは冬はマイナス30度にもなる寒く厳しい気候で、資源に乏しいほか農業にも向いていない[3]。
- アンファング
- クラーニヒブルク
- ゲラーラ
- シルム山
- イエリング鉱山
- タウスブルク
- タウブルグ
- ディンズマルク(首都)
- テンペルホーフ空港
- バルトライヒ山脈
- エーデルヴァッサー湖
- オストラント
- シュティーア城
- ホフヌング
- ホルンシュタット
- ムント渓谷
軍事[]
- 詳細は「ベルカ軍」を参照
オーシア戦争において航空機の重要性にいち早く気づき、以来航空戦力に力を入れた軍備を行ってきた。戦争中に設立され後の各国の空軍の模範的存在となったベルカ空軍は、希少なパイロット人材を活かすための生存を最優先する養成思想による優れた教育制度と、ベルカ騎士団からも影響を受けた少数で多数の敵に勝つ少数精鋭思想が大きな特徴であった。しかし一方で、空軍偏重、戦術偏重の運用思想だったために、ベルカ戦争時には陸海空の統合運用を行う戦略空軍としての能力に欠けていて組織としては時代遅れになっており、それが敗戦の一因になったという指摘がある[4]。
国土の海へのアクセスはよくないが、ベルカ戦争時の海軍はイージス艦や空母を保有しておりそれなりの勢力を持っていたようである。
また、XB-0 フレスベルグ、エクスキャリバー、V1およびV2、ADFシリーズなど、特徴的な戦略兵器・独自開発兵器を保有してきた。
言語[]
綴りはドイツ語だが、読みが(子音が濁るかどうかなど非常に微妙な点で)英語的になっていることが多い。大きく間違っている場合も少ないが存在する。地名では大きな問題にはならないが、人名では読みでしか言語圏を判定できないことも多いため、アサルトレコードの人物名など、ドイツ語ではない読みになっていても移民系ベルカ人だと判断することはできないことが多くある。
経済・産業[]
近代化以前から家内制手工業が発達し、工業化以降は高い科学力に裏付けされた工業力を有するようになった[3]。しかし連邦時代の領土拡大に伴う軍事費増大に耐えることはできず、深刻な経済恐慌を経験した。敗戦後はオーシア企業となったグランダー社が世界的な軍事企業に成長したが、ベルカ公国内の軍事産業がどのような経緯をたどったかは不明である。
文化[]
ベルカ発祥の地は厳しい寒さの瘦せた土地で、資源にも乏しい。そのため常に飢えと寒さへの恐怖心があり、その危機意識から勤勉で粘り強い国民性が育った。長く厳しい冬の間は金属加工や織物などの家内制手工業が行われ、工業立国の基盤を作った[3]。
近代以降も中世のベルカ騎士団に由来する騎士団精神や貴族たちの社会的影響力が色濃く残っている。貴族の末裔は往々にして高い社会的地位を持っており、騎士団精神はベルカ空軍の運用思想に影響を与えた。また、北ベルカへの侵攻を食い止めるために自ら核兵器を使うことも辞さなかったことから、北ベルカがベルカ人にとって極めて重要な存在であることが推察される。
ギャラリー[]
登場作品[]
- ACE COMBAT 5 - THE UNSUNG WAR (初登場)
- ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR
- ACE COMBAT X - Skies of Deception (公式サイトの地図に記載)
- ACE COMBAT 6 - 解放への戦火 (アサルトレコードに記載)
- ACE COMBAT 3D - CROSS RUMBLE (言及)
- ACE COMBAT 7 - SKIES UNKNOWN (言及)
参照[]
脚注[]
出典[]
- ↑ ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR 公式サイト World World News 12 "ベルカン・エアパワー" 第一部前編 pages 03
- ↑ ACE COMBAT 5 - THE UNSUNG WAR 公式サイト WORLD WORLD NEWS "FROM ABOVE October, 2009"
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 ACES at WAR : A HISTORY 2019 p.18
- ↑ 4.0 4.1 ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR 公式サイト World World News 22 "ベルカン・エアパワー" 第二部 pages 01, 02
- ↑ ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR アサルトレコード No.028 フレディ・スタルケ
- ↑ 6.0 6.1 ACE COMBAT 6 - 解放への戦火 公式サイト もっと詳しく ACE6 ワールドニュース FRONT LINE February 26 , 2016
- ↑ 7.0 7.1 ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR 公式サイト World World News 18 「"ベルカン・エアパワー" 第一部後編」 pages 03
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 ACES at WAR : A HISTORY 2019 p.12 - 13
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR Scene 2
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー パーフェクトガイド p248 - 249
- ↑ 11.0 11.1 ACES at WAR : A HISTORY 2019 p.140
- ↑ ACE COMBAT 5 - THE UNSUNG WAR 公式サイト WORLD WORLD NEWS "ПОСЛЕДУЙТЕ September,1991"
- ↑ ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR 公式サイト World World News 12 "ベルカン・エアパワー" 第一部前編 pages 01, 02
- ↑ ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR Scene 4
- ↑ ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR Scene 9
- ↑ ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR Scene 10
- ↑ 17.0 17.1 ACE COMBAT 5 - THE UNSUNG WAR Scene 07 "WHITE BIRD [PART 1] #1"
- ↑ 18.0 18.1 ACE COMBAT ZERO - THE BELKAN WAR アサルトレコード No.167 ラルス・マテウス
- ↑ 19.0 19.1 ACE COMBAT 7 - SKIES UNKNOWN 公式サイト "GAZE" Topic
- ↑ 20.0 20.1 ACE COMBAT 7 - SKIES UNKNOWN MISSION 17 Homeward 「残された島」
- ↑ ACE COMBAT 6 - 解放への戦火 アサルトレコード No.21 ロレンズ・リーデル
- ↑ ACE COMBAT 7 - SKIES UNKNOWN MISSION 16 Last Hope「最後の希望」
小ネタ[]
言語や産業のみならず、歴史的にも、神聖ローマ帝国を連想させる中世の様子や極右政党による戦争などドイツとの類似点が多い。
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